作品情報⇒https://press.moviewalker.jp/mv89726/
★★★★★★★
ジュライには、10か月ちがいの姉セプテンバーがいる。セプテンバーは幼い頃からジュライに対して支配的で、姉の“September Says……”の言葉に始まるゲームにジュライは従うばかりで、姉の言いなりである。そんな姉妹の母親シーラは写真家(?)で、娘2人の顔を白塗りにした上、同じ格好をさせ並んで立たせた写真を撮って個展を開くなどしていた。
ジュライはいつもオドオドしていて、学校でもイジメの標的にされていた。イジメ集団のリーダーは車いすに乗った少女だ。イジメられているジュライをセプテンバーはいつも庇い、イジメ集団に反撃していた。ある日、イジメの度が過ぎたためにセプテンバーがナイフを彼女たちに向けることに……。
その一件で姉妹は退学になり、シーラと3人で海辺の家へと引っ越した。閉ざされたその家で、姉のゲームは次第にサディスト性を帯びて行き、姉妹の関係が不穏になっていく。そんな姉妹の前に近所の青年が現れ、青年はジュライに好意を寄せるようになるのだが、、、。
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何となくチラシを見て、その雰囲気が気になって、劇場まで見に行ってまいりました。久しぶりにあらすじを自分で書いてみたけど、やっぱしあらすじを書くのって、無責任な感想を書きなぐるよりよっぽど難しいわ。
~~以下、ネタバレバレです。本作をご覧になる予定の方は、お読みにならない方がよいと思います。~~
◆姉妹と母親
セプテンバーとジュライは1年も隔たずに生まれて来て、学校では同学年の様である。学校が9月始まりの国では、そうなるのか。
つまり、母親のシーラは、セプテンバーを産んですぐにジュライを妊娠したということになる。この物語の主役は2人の姉妹だが、私は、この母親がとても気になった。父親はまったく出て来ないので、恐らくシーラとは離婚したのだろう(死別?)。離婚に至った理由は描かれていないので分からない。
知人のRさんは年子(男2人)を産んだシングルマザーなのだが、彼女が言うには、長男を産んだ直後で心身ともに疲弊しているときに、元夫は彼女の体調よりも自身の性欲を満たすことを優先して来たと。そして、二男を妊娠してしまい、産みたくなかったが堕胎することも憚られて「渋々」産んだと。産んでみれば可愛くて、産んで良かったと心底思ったが、元夫に対する不信感と嫌悪感は強烈に残ったと。そして、離婚という選択をするのに迷いがなかった……らしい。
シーラの様子を見ていて、私はRさんの話を思い出していた。Rさんは精神的な問題を抱えていない(と思う)けれど、シーラはリモートでカウンセリングを受けているシーンがあり、他にもやや不安定そうな描写もあったので、結婚と2度の出産はシーラにとって人生におけるトラウマ級の出来事だったのではないか、、、と思ってしまったのだった。
セプテンバーとジュライの歪な姉妹関係は、シーラの不安定さを投影しているのではないか。親の精神状態は、子供に残酷なまでに影響を及ぼすと思う。特に、シーラは娘2人と3人暮らしで、緩衝材になり得る父親や祖父母等の第三者がいないから、なおさらだ。母親の方が父親より子供に与える影響が大きい、、、という意味ではありません、念のため。
とはいえ、シーラは日常的に姉妹にイライラをぶつけているわけではなく、どちらかというとやや放任型だろう。自身の作品を制作するのに娘たちを素材にしてはいるが、そういうアーティストは珍しくもない。シーラなりに母親として娘たちを愛しているのは分かるが、ちょっとズレた人、、、という印象だ。母親に放任されがちな姉妹の場合、姉が妹に支配的になるというのは、当然の成り行きとも考えられる。
そして、ラストシーンも、そんなシーラのズレっぷりが招く事態、、、ということになるだろう。どうしてあそこでシーラはジュライの行動に気付かないのか?? ……と、見ていない人には訳が分からないと思うけれども、そういう幕切れなのです、この映画は。
◆前半と後半
本作は、母娘3人が海辺の家に引っ越す前と後で、お話的には2部構成みたいな感じである。
この海辺の家は、本作内で“セトルハウス”と言われており、意味が分からなかったので、鑑賞後にネットで検索するも「「セトルハウス」は、東京都に複数存在する賃貸アパートの物件名です。」などとAIが教えてくれて、ますます??となったが、あるサイトで説明を見付けた。そのサイトによれば「セトルハウスは、イングランド北部の地名 Settle に由来すると同時に、“settle=落ち着く/沈む”という英語の響きを含み、姉妹が閉じ込められていく不穏な空気を暗示する名でもある。」とある。
settleの意味なんか忘れたけど、確かに、この家に移って来てから母娘の3人は閉鎖的な暮らしになる。姉妹は学校に行かないし、シーラも気分がすぐれないのか寝ている描写が多かった気がする。
~~以下、ネタバレです。~~
終盤になって、実はこのセトルハウスに移って来てからは、セプテンバーは死んでいることが分かる。その直前に、ジュライを酷くイジメたグループに仕返しをしに行ったセプテンバーは落雷で即死するのだ。
このオチを知ってみれば、なるほど、後半の何とも言えない不穏さや違和感は腑に落ちる。また、このオチが全て、、、というような安易なつくりにもなっていないので、オチを知って「な~~んだ、ガックシ」にもならない。
というのも、セトルハウスでの姉妹の関係は、ますますセプテンバーの支配が度を過ぎていくのだが、これはつまり、ジュライは姉が死んでしまって自由になるどころか、姉の不在がジュライをますます支配する事態になった、、、ということを端的に描くことになっているからである。なぜセプテンバーが後半になってこうまでジュライに対してサディスティックになっていくのか、というぼんやりとした不可解さが、終盤に輪郭を露わにしていくみたいな感じである。
◆その他もろもろ
このネタバレシーンは蛇足ではないかと書いているレビューを見たけれど、、、まあ、確かになくても良かったかも知れない。あそこまで直截的な映像にしなくてもね、、、と私もちょっと感じたので。ただ、あのシーンがあることで、かなり終盤からラストへのジュライの行動を見る目が変わるので、ラストシーンも解釈の余地が残ったとも言える、、、のでは? とも思う。
さらに言えば、あのラストシーンをどう解釈するかである。
ジュライがセプテンバーから精神的に解放されるには、母親シーラの役割が欠かせないのだが、シーラのキャラから想像して、支配者がセプテンバーからシーラに移行するだけではないか、、、というのが私の想像。シーラは一見、支配的な母親ではないが、娘を自分の作品の被写体にしたり、成長した娘に小さな服を無理やり着せたり、、、と、十分その片鱗が垣間見える。この母親がジュライの心を解き放てるとは思えない。
私は悲観的に見たけれど、パンフでは違うことを書いている人もいるので、解釈が分かれるところか。
この監督の夫は、あのヨルゴス・ランティモス監督とのこと。へぇー。ランティモス監督作にも出演し、役者としてもキャリアのあるお方。あの「ロブスター」にも出ていたらしい、、、。
本作を見て「籠の中の乙女」を思い出したとレビューに書いている人がいたけれど、、、うぅむ、ちょっと違う気が。私はランティモスの「ロブスター」「聖なる鹿殺し~」「女王陛下のお気に入り」「哀れなるものたち」を見たが、どれも正直言って好きじゃない。ランティモス映画は基本ディストピアだけれど、本作はディストピアではなく、徹底したリアリズムであると言ってもよいのでは。女性を良くも悪くもありのままに描いている。こういう言い方はあんまし良くないが、男の監督では本作のように女性を描写することは、そもそも発想自体が出て来ないと思うよ。女のリアルは、やっぱし女にしか分からない部分が多い、というのは、ジェンダー云々抜きで紛れもない事実ってことだろう。
セトルハウスがなかなかステキなのです。